こつこつ貯めたお金で買った新古車

社会人になり、都心で働くことになったので電車通勤になりました。
最寄りの駅までは家から歩くと30分以上かかるので、できるだけ通勤時間を短縮するために車で行くことにしたのですが、当時の私には貯金というものが一切ありませんでした。

 

そこで、車の購入に向けて月に8万円ずつ貯金を始めたのです。
遊びたい盛りの時期に、初任給の半分以上を貯金に充てるのは大変でしたが、一年後に知り合いのディーラースタッフから100万円で中古のコンパクトカーを購入することができました。

 

はじめて自分の車を手にした時にはうれしくて、家族や友人、恋人をのせてあてもなくドライブをしたものです。
運転が下手な私にとって、コンパクトカーはベストのサイズ感で、小回りの利くのでどこに行くのにも便利でした。
また、人生で初めて「洗車」も父に教えてもらいながら行い、ピカピカになったマイカーを見てうれしくなりました。

 

そんな大切にしていた車が、友達を家に送るために狭い道を蛇行していたところ、対向車とぶつかりそうになりよけたはずみでガードレールに追突してしまったのです。

 

交通事故を起こしたこと以上に、大切な愛車がキズが付いたことがショックで涙があふれてきました。
深夜だったので、翌朝、傷を確認したのですが、後部座席の右側がべっこりとへこんでおり、購入からわずか半年足らずで「事故車」になってしまいました。
コンパクトカーだからといって「どこでも行けるはず」と運転に怠慢になっていたのかもしれません。

 

その後は慎重に運転して、10年近くこの車に乗ることができました。
手放すときには、愛車との色々な思い出が募って涙が止まりませんでした。
まるで、自分の分身がいなくなったように感じたのです。

 

 

「自分で買うなら」と決めたかわいい車

自動車免許を取りたての頃、私は、車に全く興味がありませんでした。
また、「運転は難しい、苦手だ」という意識も働いて、車に対する興味も抱いていませんでした。

 

そういう理由と、あと「最初だから、ぶつけてもいいように」という理由から、初心者マークが取れるまでの間は、母のおさがりの車を私の名義に変更して使っていました。

 

しかし、通勤などで車を利用するようになり、運転に慣れてくると、だんだん、「おさがりじゃなくて、自分で選んだ新車がほしい」と思うようになりました。
母からのおさがりの車はやや地味でしたから、自分で選ぶなら、明るい色。
「若い今しか選べないような色が良い」と考え始めるとだんだんワクワクしてきました。

 

そして、社会人2年目の終盤。
決算期で車が安く手に入りやすい時期に、とうとう私は新車の購入に踏み切りました。

 

車種はラパン、と決めていたので、そこは迷わなかったのですが、一番迷ったのがカラー。
落ち着いたブラウン系と、当時は珍しかったミントグリーン、どちらもかわいくて非常に悩みました。
しかし、やはりかねてより考えていた「今しか選べない色」にしようと考え、最終的にミントグリーンを選びました。

 

悩みに悩んだ末に購入した、私の初めての新車は、今でも現役で私の相棒を務めてくれています。

 

 

いろいろな思い出がつまったラベンダー色の軽自動車

初めて自分でお金を出して買った車は、ラベンダー色の軽自動車でした。

 

それまでは姉の乗っていた古い左ハンドルの外車に乗っていたのですがそれが壊れてしまい、車を買う必要が出て来ました。
ちょうど近所のデイーラーがあったのでそこへ親と歩いて行って、そのお店に置いてあったラベンダー色の軽自動車を30分もかからず購入することにしました。

 

「すぐに乗れる車は」と聞いたら、「あそこにあるラベンダー色の軽自動車」と言われたので、「じゃあ、それでお願いします」という感じでした。
一括で親に支払ってもらって、毎月親に2万円ずつ返済するという形で購入しました。

 

ラベンダー色の車の男が乗っているとよく友人から「なんで、この色にしたの?」と聞かれたのですが、「この車がお店にあったから」とだけ答えていたのを覚えています。
結局そのラベンダー色の軽自動車には10年近く乗りました。

 

定期的に点検をしていたのですが、寿命だったようで高速道路を走っていた時にボンネットから煙がモクモクとでて、あわや事故を起こすところでした。
高速道路の路肩に車を止めたら煙は収まったのですが、もはや動かすことはできません。
JAFを呼んで、購入した自動車販売店に電話してみてもらうことにしました。

 

修理可能だったら乗り続けようと思ったのですが、修理代が高くつくということで、諦めることにしました。
結婚して、子供が出来て、子供をいろいろな場所へドライブへ連れて行った思い出のつまった車だっただけに、分かれるときは寂しかったです。

 

 

初めて買った車はオプティでした

私が初めて車を買ったのは、もう15年以上前になります。
コツコツお金をためて、80万円貯まったところで今はあまり見かけないダイハツから出ている「オプティ ビークス」を買いました。

 

初めての車なので、ぶつける心配もかなりあったため地元のトヨタ系列の中古屋さんで試乗させてもらい購入にいたりました。
他の車もあったのですが、当時はそのルックスが20代の私にはとても魅力的で一度試乗しただけでこの車にしよう!と思い立ち購入したわけです。

 

試乗は近所の国道246で行い、今でもその道を走ると懐かしい気持ちになります。
納車されるまでは、二週間ほどあって待ち遠しくてたまらなかったです。
車がいよいよ到着する日、あまりのウキウキ気分に半休を取得して到着を待っていました。

 

いよいよ納車です。
中古車屋さんの男性が自宅まで車を運転して来てくれました。

 

その日はどうしても運転したく真鶴まで車を走らせて海を見に行きました。
軽なのに、キャンプ、音楽フェス、友人宅まで100キロ近く運転していったり、とにかく相棒と呼ぶにふさわしいほど一緒の時間をたくさん過ごしました。

 

ある日道で急に止まってしまいすぐに車屋さんを呼びましたがあいにく電話に出ず・・・。
通りすがりの男性に押してもらって自宅まで車を運びました。
今でもその男性には感謝でいっぱいです。

 

車を修理に出してからも、中古で購入したからなのかな?
またまた道で止まってしまうことがあって、泣く泣くさよならしました。

 

2万キロの走行距離の車を購入しましたがさよならするときは5万キロ走っていました。
たまにふるーい同じ車を見ると懐かしくてたまらない気持ちになります。

 

 

いきおいで買ってしまったホンダ車

就職する前から目をつけていた憧れの車があったのですが、たまたま青山のホンダで、当時大ブームを巻き起こしていた「ホンダプレリュード」を見てしまい。。白車体のフォルムの美しさや内装、特にシートの贅沢な雰囲気が一目で気に入ってしまいました。

 

試乗させてもらうと、馬力がある割にエンジン音が上品で、運転もしやすく、「絶対、絶対ほしい!」といてもたってもいられなく試乗後即購入契約。
初めて自分の稼いだお金で買ってしまいました。

 

ホンダの担当者は「男性の方が多く買われていて、もしかしたら当店初の女性プレリュードオーナーかも。」と珍しがられてしまいました。
(その後、「ナンパ車」として、名を馳せる車であるとは、当時知る由もありせんでしたが。)

 

12万キロほど走ってくれた後、引退したプレリュード。
あの時、ついつい勢いで購入してしまった為に身内にも呆れらたのを思い出しました。

 

遠い昔の話しですが、あの乗り心地と買った時の高揚感は絶対忘れる事はありません。

 

 

幻のパジェロ

私は社会人になって2台目に購入した車が「初めて自分のお金で買った車」で真っ赤なパジェロJトップです。

 

今から遡ると30年ほども前になりますが、社会人2年目の20代前半頃に、当時四駆の車が流行っていて、私も四駆の車が欲しくて欲しくて、同じ職場の人の紹介で手に入れることができました。

 

身の丈に合っていたのかどうか、今では恥ずかしい話ですが、四駆の車にスーツ姿にスニーカーで運転する姿が、自分の中にカッコいい女性という思いがあり、仕事に行くときも遊びに行くときも、パジェロに似合う格好を自分なりに楽しみながら運転していました。

 

住んでいたところが地方の田舎町だったので、真っ赤なパジェロはとても目立っていたようで、色んな人から「カッコいい車だね」と声をかけられることがありました。

 

その当時は、運転することが嬉しく、週末は遠出してドライブを楽しみ、パジェロは私の愛車として大事にしていました。

 

が、そんな矢先、不運は突然訪れてしまいました。

 

愛車を手にして半年程経ったころ、仕事帰りの交差点での信号待ちの時にそれは起こりました。

 

私自身には全く落ち度も、不注意も、非もない状況の中、赤信号で停車待ちしていたら、突然”ガリガリガリ”と金属を強く傷つける音が体中に走りました。
一瞬何事が起ったのか状況を把握できずにいる中、振り向くと背後にダンプカーが突っ込んできて、愛車パジェロの後方が潰されてしまいました。

 

「えっ”! 何事?」

 

取り返しのつかない状況であることは理解できました。
私自身は無傷で何事もなく無事でしたが、ダンプカーの運転手のハンドル操作ミスで、私の愛車パジェロは修理不可能な悲惨な結果になり、僅か半年ほどで私の元を旅立っていきました。

 

初めて自分の働いたお金で買った車は、このような苦い思い出として心に深く残っています。

 

 

初めて買った車は中古車でした

大学1年次の時に自動車の運転免許証を取りました。
それから大学卒業までは親の車を使わせてもらいましたが、大学を卒業して就職した際に自分専用の車を買いました。

 

当時はまだ就職をしたばかりでお金もあまりなかったので、新車では購入することはできませんでした。
そのため中古車を購入することにしました。

 

購入した車は日産のマーチでした。
コンパクトで運転しやすく、しかも価格もお手頃で毎月のローン返済も無理なくすることができたので、初めて購入した車としては満足でした。

 

通勤は電車を使っていたので、平日はほとんど車を使いませんでした。
週末の土日は、当日付き合っていた彼女と良くマーチでドライブをしていました。

 

燃費も良く、経済的な車でした。

 

ただし中古車ということもあり、長年乗るにはきついと思っていました。
それと彼女が次買う車はもっと大きい車が良いと言ってたので、次購入する車のために日々節約をしてコツコツ貯金をしていました。

 

 

初めての車だったのに燃費偽装が…

初めて自分のお金で買ったのは日産のデイズでした。
それまでは就職するときに親に買ってもらった中古の車に乗っていました。

 

新車に乗るのも、自分がほしい車に乗るのも、自分で決めたオプションをつけるのも、全部ワクワクで楽しかったです。
この車に買い替えたら色々なところに遊びに行こうと思いナビもつけましたが、結局出不精なのは変わらず、あまり活躍の機会がないのが悲しいです。

 

自分で選んで楽しく乗っていたのですが、買ってすぐに日産の燃費偽装が発覚。
買った決め手はデザインと燃費の良さだったのに。
せっかく好きで乗っていたのにショックでした。

 

買うときに店のセールスの人に「書いてある通りの燃費にはなりませんよ。街乗りだとそんなもんですよ」と言われたのが、なんだか嘘をつかれた気分。
日産からお金はもらえましたが、せっかくの新車に傷がついてしまったかのような気分でした。
セールスの人が悪いわけではないのでしょうがないかもしれませんが、なんの謝罪もなかったのがまたショックでした。

 

なんだかモヤモヤした気持ちを抱えつつも、結局は乗り慣れているし、初めて自分で買った車なので愛着があり、まだまだ手放す気にはなれません。

 

 

憧れのスポーツカー

今から30年程前の自分が高校生の頃は今みたいにエコカーなんてなく、ガソリンも安い時代でスポーツカーが人気の頃でした。
元々車好きで雑誌などを毎月買って一台のスポーツカーに一目惚れをしてしまい、「免許を取ったらこれに乗る!」と決めて学生時代はバイト三昧でした。

 

18歳になり免許を取得していざ憧れの車を買うだけの段階では、まだまだお金が足らず親に借りてやっと購入できました。
当時欲しかった車の生産は終わっていたので、程度の良い車を選び購入し、父親と一緒に初めてのドライブをした。
何も言わずに息子の助手席に座っていたけど、今思えば何を思っていたのか知りたい。

 

それからは毎週のように洗車をし、ピカピカに磨いて車で走り回る生活。
専門学校に通いながらガソリン代と車の維持費の為に働き毎日クタクタでしたが、憧れのスポーツの為だったので苦痛ではなかった。

 

そのまま10年乗り続け、結婚を気に乗り換えてしまいましたが、その間に写真をいっぱい撮り、アルバム3冊残しています。
その後は何台も車を乗り換えましたが、最新の車のように思い入れがある車には出会えていません。

 

 

私の青春時代を共にした車

私が初めて車を買ったのは二十歳の時です。
当時は大学生で、18歳で車の免許を取得してから大学には自宅から電車でしばらく通っていました。
入学して半年1年も経つと、周りの知人がチラホラ車を買って通学し始めました。

 

それを見た私もいつかは車がほしいなあとは思っていました。
入学してまもなくしてから私はアルバイトを始めました。
小遣いとして使ったお金の中から少しずつではありますが、毎月貯金をしていました。

 

そういった日々が過ぎ、私が二十歳の時に、家族の団らんの話の中で、両親が乗っていた車を買い替えようという話になりました。
トヨタ自動車製のワンボックスカーで、新車で買ってから3年しか経っていない車です。
両親は新しく車を買う為に今乗っている車をトヨタで下取りしてもらい、新車を買う事になりました。

 

その一連の過程をみていた私は、これはチャンスだとばかりに、今乗っているワンボックスカーをトヨタの下取り値で自分の売って欲しいという話をしました。
両親は快諾し、車の名義も私になりました。

 

しかし、大変だったのはこれからで、アルバイトを一生懸命して貯めた100万円を両親に渡し、残りの80万円を月払いにしてもらいました。
私は二十歳の時に両親から建て替えはしてもらってはいましたが、両親に対して80万円もの借金をしてしまったわけです。

 

その後、私は勉強もそこそこに、アルバイトを一生懸命し全額を数年かけて両親に支払いました。
まあ、その大変だったこと。
この事でローンというものがどれほど辛いものかが分かり勉強になりました。

 

苦労してやっと手に入れた車毎週欠かさず洗車し、それほど汚れてはいない車内を掃除機で掃除し、ピカピカの状態で保ち、その後エンジンが故障するまで15年乗りました。
私の青春時代を共にした車でした。

 

 

 

 

 

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